昭和44年7月29日夜の御理解                                                                                                           毎日それを思うのですけれども、えー教会の様々な行事がもう重なりにも重なって、えー毎日まぁ言わば、教会内が(てんやわんや?)の状態でございますけれども。     そのてんやわんやの中に、なるほどそのー、おー様々な事がございますが、あー    それが一つもこう重ならずにどこにも不都合にならずに、えーおかげを受けておるという事。そのに初めてあの、神様のおかげって言うのを実感いたします。                                                 今日も、朝の御祈念に始まって、それから若先生たちが今日は星野教会のご大祭と、まぁあちらの霊祭と、があるというので、えー(?)さんがあちらえ私を送ってまいりました。それから一時の御祈念、それからけいしん会。今日は、えー豊美のえーいろんな買い物の委員の方が今日は引かれて今日は買いに行かれるというので、えーそんな間に買い物に行かれました。でからけいしん会があり、その中にどこにも私は顔を出させて頂いております。どこにもこう不都合のない、それでいてなら30分ずつでも、1時間ずつでも自分の部屋で休ませて頂いております。                                                                 ですからもう忙しゅうしてあれもできんこれもできんという忙しさはそれは本当の忙しさでは、おかげではない。忙しすぎては信心もできん、お参りもできん何てことはもう  いよいよもって可笑しい事である。どんなに忙しゅうても、神様のおかげで忙しいおかげを頂いておる時には、もうそれこど、んー、一日中がてんやわんやの状態の中にあって、きっちりした、あーおかげが頂かれると、それをもっておかげと私は思うのですね。                                          夕方は少年少女会が信心実習ですか、信心実習ていうか、訓練の実地で、えー今日は全員がほっしんにキャンプいたしました。それで夕方帰ってまいりましてその、まぁえー  模様もいろいろ聞かせて頂いたりいたしましたが、もうとにかく、いうならば一日がてんやわんや、ここんところはもう連日そうです。                                                           けれどもなら体を休めるヒマもないとか、あれとこれとが一緒にぶつかるといったような事になっし、お繰り合わせを頂いておるという事実を見ただけでもですね、おかげで忙しいというのはこういうものだと言うような事を皆さん、分かって頂きたいと思うですね。どうぞ・・・。                                        けんいち